大本山成田山より栃木県で唯一「成田山分院」の称号を公称することを許されて、令和6年で54周年を迎えました。

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大本山成田山大田原分院 成田山遍照院「お寺のご案内」

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真言宗智山派 真言宗智山派
開創明治17年12月 明治17年12月
及川照龍上人(宮城県本吉郡志津川町出身)開基


及川照龍上人
(宮城県本吉郡志津川町出身)

縁起 成田山遍照院は、明治17年10月、開基及川照龍上人によって開かれた。
及川上人は、宮城県本吉郡志津川町出身で、少壮の折、商人となって諸方に生業を巡らしたが、28歳の時持病に罹り、薬餌数月に及びたるも、其の効なく、
そこで大本山成田山新勝寺御本尊不動明王に祈願を籠めて、間もなく平癒した。かくて師は深くこの奇瑞に感じ、一身を不動明王に捧げんと志し、遂に大本山貫首照輪上人に従って得度し、日夜修行を積み、遂に秘密の法を修得した。
 ここに於いて不動明王の威徳を広く善男善女に光被せしめんことを発願し、明治15年(1882)、地を現栃木県大田原市に相して、堂宇の建立を計画し、経営僅かに1両年を以って伽藍の建立を為し、同17年(1884)12月に成田山の御分霊を勧請し、次いで新勝寺末寺遍照院の寺号移転を行い成田山遍照院と公称するに至った。
 もともと遍照院は、成田山新勝寺境内の堂庭左手の弁天池の右手後方にあった。「南光坊」とも称された。本尊不動明王を祀り、創建年代は不詳であるが、新勝寺開基上人寛朝大僧正の住寺である京都広沢の遍照寺の名をかり、一宇を設けて永久に上人の偉績を伝えんがために建立されたものである。
 これらの由緒ある寺史を担い、創建後は、信徒年を追って増加し、大田原繁栄の要因となった。これ全く及川照龍師が其の基礎を開拓したものであるが、師は明治40年(1907)10月遍照院に寂した。師の徳望を慕うもの今尚甚だ多い。照龍師逝去後は、円城寺照邦・島照典の両氏が後任となりその後を受けて高野照寶師住職となり、その後山口照道師住職・高野照汪師住職となり、現在高野照教に及んでいる。

※新修成田山史「大本山成田山新勝寺発行」より抜粋



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